2025/07/04 08:40

(この記事は、グルメ雑誌『味めぐり』「伊豆・金目鯛特集」掲載予定の取材内容をもとに構成しています)


伊豆・宇佐美に佇む全6室の温泉宿「金目鯛の宿こころね」。

“じゃらん”や“楽天トラベル”で高評価を獲得し続け、金目鯛しゃぶしゃぶの名宿として知られるこの宿には、常連客も多い。

今回は、料理旅館としての原点、金目鯛料理への情熱、名物「金目鯛しゃぶしゃぶ」が誕生した裏話などを、店主・岸本昭男さんにじっくりと伺った。


■ 料理人ではないところからのスタート

――岸本さんは、もともと料理人ではなかったと伺いました。

はい、そうなんです。私自身は料理の専門学校出身でも板前修業をしてきたわけでもなく、ごく普通の宿業からのスタートでした。
ただ、伊豆に生まれ育ち、金目鯛という魚がいかに地域に根ざした存在であるかは肌で知っていました。

「金目鯛を軸に、地域の魅力と宿の価値を掛け合わせることができないか」
それがこの宿『金目鯛の宿こころね』の始まりでした。


■ 最初に驚いた“金目鯛の力”

――そもそも、なぜ金目鯛にここまで惹かれたのでしょうか?

最初は“伊豆といえば金目鯛”という、よくある観光地のイメージからでした。
けれどある時、下田の市場で出会った一本の金目鯛を見て衝撃を受けたんです。
体表がつややかで、眼が澄んでいて、まるで宝石のようでした。

そして煮付けにして食べたとき、その脂の甘さ、身のふっくら感…「これはただの魚じゃない」と心から思ったんです。
“この魚の可能性を、もっと広げてみたい”と。


■ 看板料理はやっぱり「煮付け」から

――やはり最初は煮付けからスタートされたんですね。

そうですね。金目鯛の煮付けは、伊豆の宿にとっても定番中の定番ですが、だからこそ逆に難しい。
タレの濃さ、煮る時間、魚のサイズで印象が変わってしまう。

「もう一度この味を食べに来たくなる」煮付けとは何か、何百回も試作しました。
でも、どこかで“それだけじゃ足りない”と感じていたんです。


■ 誕生のきっかけは、お客様の何気ないひと言

――そこから「金目鯛しゃぶしゃぶ」へと?

ええ、ある時、リピーターのお客様にこう言われました。

「ここの金目鯛、しゃぶしゃぶにしたら、もっと旨いんじゃない?」

冗談交じりの一言だったのですが、料理人ではない私にとっては大きなヒントでした。
“しゃぶしゃぶ”という調理法で、金目鯛の繊細な脂や身の甘みを最大限に引き出せるのでは? と。


■ 完成まで2年。魚の切り方で味が変わる

試作を始めて気づいたのは、「金目鯛をしゃぶしゃぶにする」という文化がほぼ存在しないこと。
刺身用でもなく、鍋用でもない、“絶妙な厚みと形”を探すのに、試行錯誤を繰り返しました。

厚すぎれば火が入りすぎてパサつく。
薄すぎれば煮崩れて食感が消える。

下田の魚屋さんとも何度も話し合い、切り方・温度管理・出汁の工夫などを経て、ようやく今の「金目鯛しゃぶしゃぶ」が完成しました。


■ 料理は一過性。だからこそ“記憶に残る味”に

「宿の料理は、特別でなければならない」
その思いが、しゃぶしゃぶ開発の根底にありました。

旅行先での食事は一度きり。
でも、その一皿が「また来たい」と思わせるか、「もういいや」となるかは、ほんの小さな違いなんですよね。

金目鯛しゃぶしゃぶは、こころねにしかない記憶に残る味。そう言っていただけた時の喜びは、何にも代えられません。


■ 次回予告:後編へつづく

後編では、オンラインショップ「金目鯛専門店こころね」立ち上げの舞台裏、商品化の苦悩、通販だからこそ伝えたい“おもてなし”、そして店主・岸本さんが描く今後の展望についてお届けします。

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